【次女】本館に向かう車内で電話
2020年に次女が1型糖尿病と診断されました。その事についても書いていきたいと思います。
↑の続きです。
B市の医大からC市の本館へは、車で1時間はかかります。
次女は車の中でドーナツを食べ、薄くなったオレンジジュースを飲み干していました。
思い返せば、次女はこのドーナツとオレンジジュースが【普通に食べられる】最後の時間でした。
この後、
飲み物はお茶かお水のみ。
食べ物は病院食のみ。
間食禁止。
になります。
車に乗るとまず、旦那に電話。
仕事中でもすぐに出られるようにしてくれていた為、掛けて数コールで出ました。
私
『もしもし?
今、こっちの医大を出たんだけどね。
やっぱり1型糖尿病って結果で、すぐに入院して治療が必要になった』
旦那
『うん…やっぱりそうか。』
相当ショックそうな声でした。
私
『うん。でね?
B市の医大だと満床で入院出来なかったの。
だから、C市の方へ行ってくださいって言われて。
すぐに向かわなくちゃいけないから、このまま向かってる。
申し訳ないんだけど、昨日用意しておいた入院道具をC市の本館に持ってきてもらいたいの。
仕事が終わってからで大丈夫だから。』
持ってきてはいませんでしたが、もし入院になっても大丈夫なようにある程度の準備はして寝室に置いた状態で朝から医大に行っていました。
旦那
『え?!C市??』
かなり驚いていて、慌てている様子が聞こえました。
私
『うん、そうなの。
これから本館の小児科に行くの。紹介状も貰ってる。
どのくらいの入院になるか分からないみたいだけど、1ヶ月か2ヶ月かかる人もいるみたい。』
旦那
『1ヶ月!?そんなに…』
急に色々な情報を言われて、旦那もかなり焦っていたと思います。
私もかなり慌てていたので、だいぶ早口だっただろうなと思います。
同時に緊張もしていたので、口の中がカラカラでした。
そういえばタリーズでコーヒーを注文していたんだった。
タリーズの袋の中から完全に氷の溶けたコーヒーを取り出して、一気に流し込みました。
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【次女】本館の医大へ急いで向かう
4人の子持ち(長男・長女・次女・次男)主婦です。日常の事、子育ての事、自分の好きな事等を気ままに書いていきます。
2020年に次女が1型糖尿病と診断されました。その事についても書いていきたいと思います。
続きです。
B市の医大ではベッド数の空きがない為、今からC市の医大本館へ行かなければならなくなりました。
医師から手渡された紹介状には、医大本館のM先生と宛名がありました。
医師
『もう本館の方へは連絡をしてありますので、そちらに向かってください。
こちらで受け入れられずに本当にすみません。』
医師からの話は以上でした。
私も頭を下げ、紹介状をカバンに入れるとすぐに義父の待っているタリーズへ。
…と、その前に…。
今回の支払いをしに、会計窓口へ。
10分程で支払いを終え、タリーズへ。
義父はコーヒーを飲みながら待っており、テーブルには次女が頼んだドーナツや氷がだいぶ溶けたオレンジジュースが置いてありました。
急いで義父に事情を話しました。
私
『お義父さん、お待たせしました!
やっぱり1型糖尿病でした。今すぐに入院して治療が必要なんですけど、ここの小児科にはベッドの空きがないそうなんです。
だから、今からC市の本館に行きます!
入院はそちらになるようで、既に連絡もされていて。
紹介状も受取りました。』
義父に一気に話をしました。
急に色んな話をされて、目を丸くする義父。
義父
『え?C市の医大?
入院??
今から?!』
頭の中を一生懸命に整理しているようでした。
私
『はい。今からです。今、ここでの支払いも済ませたので、すぐに向かいます。
入院準備とか色々、お義母さんや主人にも連絡しないと!』
タリーズのスタッフさんに理由を話して、ドーナツやオレンジジュースを持ち帰る為の手提げ袋をいただきました。
義父も慌ててコーヒーを全部飲み終わると、駐車場へと急ぎました。
駐車場までの間、色々な事が頭を駆け巡りました。
まずは、旦那や子供達を見てくれている義母に連絡しなければ。
1ヶ月くらいの入院だから、学校にも連絡をしなければ。
きっと私も一緒に入院になる。
他3人の子供達は大丈夫だろうか。特に小学1年の次男(末っ子)は急に私も次女も居なくなって精神的にやられないだろうか。
次男は、コロナ禍で6月に入学式を行ったばかりで、まだまだ学校にも不慣れな状況でした。
そんな時に、私が居なくなったら…。
沢山の心配事が次から次へと浮かんできて、車に乗ってからも脳内パニックな状態でした。
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【次女】どのくらいの入院なのか。治療はどんな物なのか。
2020年に次女が1型糖尿病と診断されました。その事についても書いていきたいと思います。
続きです。
小児科に戻ると、医師に1型糖尿病である事、今すぐに入院して治療が必要である事を告げられました。
ただ、この病院では空きベッドが無い為、C市にある本館へ紹介状を書いてくれ、今から向かわないといけない話をされました。
どのくらいの入院なのか。
どういった治療なのか。
この病気は治るのか。(糖尿病に種類がある事すら知らなかった為、治る事があるのかもしれないと思ったんです)
医師
『入院は、そうねー…。
1ヶ月かもしれないし、2ヶ月かもしれない。
その人次第という所もあるんですよ。
でも、こちらでは大体1ヶ月という事をお伝えしています』
私
『1ヶ月…。』
1型糖尿病という病名に加え、更に、1ヶ月程の入院…。
目の前が真っ暗になるような感覚でした。
頭がクラッとなるような。
医師
『まずはインスリンを投与して、その量などを計算していくんです。
この子に合うのがどれくらいの量なのかも分からないし。
自己注射していくのか、ポンプにするのか…。
それもやっていく中で相談していく感じですね』
インスリン…。
あぁ、聞いた事がある薬だ。
ぼんやりと医師の言葉を何処か他人事な気持ちで聞いていました。
医師
『今からね、入院して色々と検査したり注射の仕方を習ったりするの。
怖いかもしれないけど、頑張っていきましょう』
医師はベッドに腰を掛けている次女の目線を合わせるように屈み、次女に話しかけました。
次女を見ると、声を出さずに静かに泣いていました。
医師の言葉にも頷く事はありませんでした。
あとで次女にこの時の気持ちを確認した所、
【何の病気だか聞いていても分からなかったけど、1ヶ月以上の入院とか、注射とかすごく怖くて怖くて、ここに座っている事も怖くて、泣いてしまった】
と教えてくれました。
そうですよね。
親の私でさえ全く分からない話をされて動揺しているんですから、まだ小学3年の次女には更に分からなくて恐怖でしかなかったですよね…。
1型糖尿病の次女でも飲めるタイプの炭酸飲料
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【次女】急いで小児科へ戻る→本館へ
4人の子持ち(長男・長女・次女・次男)主婦です。日常の事、子育ての事、自分の好きな事等を気ままに書いていきます。
2020年に次女が1型糖尿病と診断されました。その事についても書いていきたいと思います。
続きです。
小児科から少し歩いていくと、院内の同じフロアにタリーズがあります。
そこで次女はドーナツとオレンジジュース、義父と私はコーヒーを注文しました。
義父は先に席を取りに行ってくれました。
次女がとても不安そうな表情だったので、次女がレジ前でずっと見ていたミニテディベアを御守り代わりに買ってあげました。
※画像はお借りしました。
次女は大事そうに、ピンクのテディベア🧸を抱きしめていました。
コーヒーやオレンジジュースが出来上がるのをカウンター脇で待っていると、小児科受付の方が慌てた表情で駆け寄ってきました。
受付
『hitomickeychanさん!
先生が急いで来るようにとの事で!!
すみませんが、今すぐ、小児科に戻ってもらえますか?!』
私
『え。えっ!?』
急な事で慌てて義父が居るテーブルに行き、わけを話し、コーヒーなどを受け取ってここで待っていてほしいとお願いしました。
義父も驚きつつも『分かった』と、私からレシートを受け取りました。
急いで小児科に戻ると、すぐに診察室に呼ばれ、一番奥の診察室に案内されました。
そこには眼鏡をかけた女医が座っており、私達が行くと、振り返って椅子に掛け直しました。
女医
『急に呼び出してごめんなさいね。
尿検査の結果が出たんです。』
私は椅子に、次女はベッドに腰を下ろしました。
女医
『単刀直入に言いますね。
昨日の小児科でも尿糖が出ましたけど、コチラでも出ました。
そして、かかりつけ医もおっしゃっていたと思うけど、【1型糖尿病】ですね。
今すぐに入院して、治療が必要です。』
あぁ、やっぱり…。
結果が覆る事は無かった…。
涙が出そうになるのを堪え、女医の話に耳を傾けました。
女医
『すぐに入院が必要なんだけど、残念ながら、今ここの小児科病棟は患者がいっぱいでね。空きベッドがないのよ。
だから、C市の本館の方に行ってもらいます。
そこにはもう行くように伝えてあるので、着いたらすぐに小児科受付に行ってください』
そう言うと、私に紹介状を手渡しました。
私
『い、今すぐ?これからですか?』
ちょっとパニックになる私。
女医
『今すぐよ。何処にも寄り道しないでね。』
私
『わ…分かりました。
あの…入院ってどのくらい…?
治るんですか?』
かなり動揺していたので、しどろもどろで上手く言葉が出て来ません。
続
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【次女】医大に向かう
2020年に次女が1型糖尿病と診断されました。その事についても書いていきたいと思います。
続きです。
その日の帰り道、
『明日の医大の結果では、糖尿病ではありませんでした!良かった!』
という事はあるのかな。
などと、ぼーっと考えながら帰りました。
正直、その日に何を食べたのか、どうやって他の子供達の世話をしたのか。
全く記憶がありません。
それだけショックが大きかったんだろう。と今なら思えます。
次の日。
旦那は仕事で、午後からなら休めるという事で、入院になったら着替え等色々とお願いしました。医大の結果等、逐一報告を入れるようにしました。
B市の医大へは義父に連れて行ってもらいました。
朝8時頃、かかりつけの小児科で紹介状を受け取り、医大へ。
医大へはそこから車で40分程かかります。
次女はまだ自分に何が起こっているのか理解出来ていません。
ただ、良くない事が起きているようだ。とは何となく察しており、いつも以上に口数が少なめでした。
医大に着くと、まずは紹介状を総合窓口に預け、そこでの処理が終わり次第小児科に行きました。
8時半の時点でかなりの待ち人数で、そこだけで30〜40分はかかりました。
やっと名前を呼ばれ、渡されたファイルを持って小児科受付へ。
小児科待合所の長椅子には、沢山の患者とその家族でごった返しており、かなり待つな。とちょっと気が滅入りそうになりました。
体温を測り終え、ほどなくして看護師に紹介状の内容の詳細を聞かれ、まずは尿検査をして下さい。と。
一旦、別の場所で尿検査をしに行きました。
そこから1時間以上待ちましたが、なかなか呼ばれず。
お昼も過ぎて、次女がお腹空いたというので、受付に待ち時間を確認し、まだかかるとの事だったので受付に院内のタリーズに行く事を告げ了承を得ました。
《もし何かありましたら、携帯に電話します》と。
続
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【次女】医大への紹介状を書いてもらう
4人の子持ち(長男・長女・次女・次男)主婦です。日常の事、子育ての事、自分の好きな事等を気ままに書いていきます。
2020年に次女が1型糖尿病と診断されました。その事についても書いていきたいと思います。
続きです。
看護師の1人がずっと背中をさすってくれ、隣には黙っている次女。
『早く泣き止まなきゃ。』
そう思っても、《糖尿病》という病気のせいで闇に包まれたような気持ちで、何にも考えられないくらいどん底に突き落とされていました。
『hitomickeychanさん、どうぞ。』
別の看護師が、また私を呼びました。
また診察室の椅子に座り、掛かり付け医の話を聞きました。
掛かり付け医
『ごめんね、お母さん。
本当は今すぐ紹介状を書いて、大きな病院で診てもらいたいんだけど…。
ちょっとシッカリと書きたいから1日待ってほしい。
明日の朝、8時半にここが開くんだけど、その前に来られます?
その時には紹介状を受付に渡しておくので。』
あ、今日じゃないんだ…。
掛かり付け医
『でね、明日行く大きな病院なんだけど、何処の病院が良い?
A医大のB市の方か、C市の方か。』
私
『では、B市の方で。
以前、そちらで川崎病の時にお世話になったので。』
掛かり付け医
『あぁ、そうでしたね。
知っている方が何かと安心するよね。
じゃあ、B市の方に向けて紹介状を書きますね。』
私
『あ…はい。よろしくお願いします。』
掛かり付け医の後ろで、看護師達が慌ただしく準備をしていました。
その日の診察はそれで終わりです。
明日、大きな病院で詳しく再検査をする事になりましたが、間違いなく、その時も【尿糖】は出ているという事実が分かりました。
そして、1型糖尿病だろう。という診断ではありますが、【糖尿病】という事実は変わりません。
診察室を後にすると、看護師に色々とスケジュールを言われ、紹介状を貰ったらその足でB市の医大に行って、小児科で受付をして下さい。との事でした。
そして、医大は8時半から12時までの受付なので、その時間内に(なるべく早い時間にと)入って下さい。との事でした。
何だか大変な事になった。
と、半ば他人事のような気持ちで聞いていました。
続
[rakuten:bikke:10000181:detail]
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【次女】絶望感で押し潰されそうになっていた中待合室
4人の子持ち(長男・長女・次女・次男)主婦です。日常の事、子育ての事、自分の好きな事等を気ままに書いていきます。
2020年に次女が1型糖尿病と診断されました。その事についても書いていきたいと思います。
続きです。
当時の次女は小学3年生でした。
コロナ禍の長期休校の関係で6月から学校が始まり、学校での尿検査をしたのが短い夏休みを終えた2学期開始すぐの9月中旬でした。
9月下旬の金曜日に養護教諭から電話があり、その電話のあとに急いで掛かり付け医を予約して行きました。
掛かり付け医
『糖尿病に1型と2型というのがあって、よく耳にして皆さんが想像するのが2型の方なんですよ。
1型糖尿病は子供がなる事が多いので小児糖尿病とも言われたりもしますね。
何でなるのか原因は分からないんです。遺伝でも無いです。』
その他にも医師は色々と教えてくださっていますが、頭の中が整理出来ず、苦しくて苦しくて我慢出来ず、涙がこぼれてしまいました。
と、言うのも。
次女は生後10ヶ月の時に【川崎病】にかかり、1週間入院した過去があります。
その時も川崎病の原因は分からないと言われ、今回の1型糖尿病も原因はハッキリしないと。
何で次女ばかりこういう病気になるんだ。
まして、糖尿病は治らない。
【絶望感】で目の前が真っ暗な暗闇になったような感覚でした。
何で。
何で。
うちの子ばっかり。
看護師からティッシュを手渡され、涙を拭きながら話を聞きました。
掛かり付け医
『お母さん、今はね良い薬も出来ていて、インスリンを打てば好きな事も出来るし、長生きも出来るような時代になっていますよ。
私の患者さんでも、以前、1型糖尿病になりましたけど、今もすごく元気に過ごしています。』
医師が私を元気づけようとしてくれているのは伝わりました。
けれど、そんな事が耳に入らないくらい悲しくて。
私が代われたらどれだけ良いだろう。
そんな事ばかり考えていました。
すぐに大きな病院に行く準備の為に、紹介状を書くから中待合で待つように言われました。
次女と共に中待合の長椅子に腰掛け、また涙がどんどんと溢れてきました。
次女は事情が飲み込めず、私が泣いている為
『何で泣いてるの?』
と不安気に見上げていました。
次女の為に気丈に振る舞わなければ。
頑張って涙を止めなければ。
その時、1人の看護師が私の横に座りました。
その看護師は私がこの小児科に通うようになる前から働いていらっしゃり、次女が川崎病になった時も、長女がイジメられて苦しんでいた時も、いつも親身になって励ましてくれていた方です。
看護師は私の背中をさすりながら、
『お母さん、苦しいよね。悲しいよね。
でもね、お母さんは悪くないからね。自分の事を責めたりしないで。
お母さんはいつも頑張っているよ。
泣きたい時は泣いていいよ。』
ずっとずっと、私が泣き止むまで背中をさすってそばにいてくれました。
続
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